ロレッタインタビュー(vol.4)

相手の立場に立てば、どんな人も一方的には責められない

ー甲原さんご自身は、ご両親からどのような声かけをされていましたか?

甲原:記憶に残る発言というよりは、誠実に働くこと、自分だけ利益を得ようとしない姿勢は、両親の働く姿から自ずと学びました。私が15歳の夏休みにアルバイトしたお好み焼き屋の皿洗いの時給はたしか450円ぐらいでした。10時間働いても5000円以下。働いて食べて、自分で自分を生かしていくのは本当に大変なことだと、親を見ても、自分の体でも知る日々でした。

親に叩かれたり蹴られたりすることもあったので、「親を恨みませんか?」とお客様に訊かれたこともありますが、「たしかにあそこまで怒らなくても良かったよね」と思えど、毒親とは全く思いません。人間は勝手なので、他人の気に入らないことはいくらでも挙げられるんです。しかし親にも限界があり、言い分だってあるでしょう。限界を超えた状態でも投げ出さずに、人の倍どころか5倍6倍も懸命に働いていたのは、家業を手伝っていた私がよく知っています。

―素晴らしいですね。

甲原:「大人である」という条件は、自分の立場だけではなく、相手の立場に立って考えられることが含まれます。相手の立場になってみれば、一方的に責めることはできません。無責任に一方的に人を責めていたら、物事がうまくいくわけがありません。そもそも親ってただのおじさんとおばさんですよ。親というだけであれこれ期待されても、親だって困りますよね。親も初めて親になるわけで、うまくやりようがないのが普通でしょう。

完全無欠のパーフェクトな親像を求めるのは非現実的です。たとえば受験勉強中の子に親が夜食を持っていったとき、ダイエット中の娘は『太るのに余計なことを』となり、勉強に没頭中の子は『気を削がないで』、お腹が空いた子は『ありがとう!いただきます!』となる。つまり、どれほど親が子供のことに思いを馳せたつもりでも、子供のその瞬間の気分次第で、親の言動や行動の解釈も変わるんです。

ーたしかにそうです。

甲原:とくに、人は近い人間関係ほど、自分の思い通りに動いてくれるように甘えて期待します。それを大人になっても続けると、対人関係でトラブルが絶えない人になる。
だから、そういう甘えと期待の依存的思考の修正は、できるだけ若いうちが良いですよ。できれば30歳ごろまでには軌道修正したい。30歳といえば、社会に出て約10年後。それだけ経っても自己の俯瞰と修正ができなければ、本人も生きづらくて大変なはずです。


実社会での経験は大事ですが、良い本や映画にたくさん触れると疑似体験ができます。人間関係でつまづいている人は、試してみると良いかもしれませんね。優れた作品ほど二元論ではありませんから。「良い人、悪い人」という極論ではなくグレーゾーンをどこまで許容できるか。これも1つひとつ考えていく姿勢に繋がると思います。見たまま、読んだままにせず、思いをめぐらせることです。

ー人との関わり方をちゃんと見つめ直す、と。

甲原:もちろん「すべては相手に非がある。自分は間違ってない」と思うほうがラクですよ。でもそれは、結果的に自分の首を締めることになります。

正直に言いますと、美容の業界でも、人間関係の距離の取り方がちょっと苦しそうなお客様の噂が伝わってくることがあります。たとえば頻回の当日キャンセル、サロンの備品を盗む、携帯電話の番号を聞きたがる、プライベートでも会いたがる、などです。これでは好ましい関係性を成立させようがありません。

世の中のすべての人に対して「良い人」になる必要はありませんが、どのお店もスタッフも「お客さまの美と健康のお役に立ちたい」という気持ちありきで仕事をしているはずです。美と健康のために日々技能を磨いている人達を味方に関係性を築くどころか、壊しにかかるような無粋な振る舞いは損ですよね。

サービス業相手だと子供返りしやすいのかもしれませんが。東京のようにお店が多いエリアなら次のお店はいくらでも見つかるとはいえ、どのお店でも「困ったお客さん」と認定されては悪循環に陥りますし、お店が少ない地方や田舎なら行けるお店がなくなってしまいますから、関係性づくりのスキルの低さは致命的です。おそらくいつも似たようなことで躓いているので、もったいないです。

ーええ。

甲原:全ての人が「人間関係の中で幸せを感じられる生き方」をする必要はありません。ただ、これはその人を尊重するから言うのですが、「クレーマーや被害者でい続けること」が、自分らしいポジションであり、ネガティブが好きでしっくりくるならそれでも良いと思います。それはその人の自由ですから。しかし、本人が行き詰まっているなら、対人関係や 考え方を変えたほうがもう少し生きやすいのでは?と思います。

世の中は自分中心に構成されていないので、幼児期に万能感があっても受験や就職や仕事や恋愛など人間関係で思うようにはいかない現実に直面して躓けば、己の能力の程度とレベルに気づかされるものです。「これが現実だ。しかしこれで生きていくのだ」と認めて、セルフイメージを「至らない自分」という適正なレベルに修正し、卑下せずに受容することで成長していくのです。

ですから、プライベートでも仕事でも勉強でも、足下を見ず現実から逃げ続けて、夢のように完壁な完全な自分みたいな妄想をいつまでも追いかけているのは子供だと思います。自助努力で自分の可能性を広げるのも大切ですが、自らの得手不得手、不完全さを思い知れば、ひとりで抱え込まずにお互い様で頼り合えるのではないでしょうか。

ーそこにちゃんと気づくには、具体的にどうしたらいいでしょう?

甲原:違うものの見方や、質の高いアイディアやスキルを持っている人の側に身を置くことはとても大事です。本なり映画なり外につながる世界はありますから、自分が変わりたいと思う人間を見つけること。

そしてその人のやっていることをとことん真似るところから始めればいい。生きている人の中にお手本がいないと思うなら、昔の偉人でもいいんじゃないでしょうか。むしろ亡くなっている人のほうが欠点は見えづらいので、お手本にしやすいかもしれませんし(笑)

本来は、欠点も含めてまるごと誰かに強烈に感化されるほうが望ましいと思いますが。今はインターネットもあるから便利ですよね。つい「出会いがない」と口にする人もいますが、田舎の高知県には本当に出会いはなかったですよ(笑)。

私は、何としてでも自分を良い方に導きたかったし、大人になったら親や他人の経済に依存するのではなく自分で自分を食べさせていくと決めていましたし、そのために技能を備えた専門職を志しました。働かないという選択肢は私にはありません。

エステで働き始めて以来、周囲からは何度も「私には、甲原さんみたいな才能はありません」「そこまで頑張れない」と耳タコなぐらい言われましたが、私が特別に恵まれた環境で育っていないのはお話したとおりです。徹底的にやりこむ前から「無理だ」と口にする固定観念に囚われず、フレキシブルに物事を考えて徹底的かつ継続的にトライし続ければ、意外と道は開けると思います。

一時的に他人や親や環境のせいにしたくなる気持ちはわかりますが、自分の人生をさらにないがしろにする方向に歩むのか、少しでも自分で自分を良くしてあげる道を選ぶのか。他人は、決して自分の人生の責任を取ってくれません。どれを選ぶかは本人の自由です。ないがしろにしたツケは自分が自分の人生で払うだけす。他の誰も自分の代わりにそのツケは払ってくれないんですよ。

世の中には理不尽や不平等も沢山ありますが、もし自分の人間関係がさみしかったり物足りなかったり退屈だったりするならば、さらにそれを言い訳にしてもっと行動しないのならば、つまらない毎日は自分のせいだと思いますね。